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【日々種まき】#11 行き当たりバッチリ

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あけましておめでとうございます。
年女兎年の経営企画本部 吉井です

人と話す機会が増えると知らないことを知る機会が確実に増える。
自分で実際に出会って、聞いてわかる本当のこと。
私はそれを【日々種まき】と呼んでいる。
自分の中に種をまいている感覚だから。

今年最初のブログに何を書こうか迷った挙句、年女の節目ということで
自分の仕事人生(遍歴)を振り返ってみることにしました。

私の仕事人生part1
自分探しの転職(~22歳)

思い返してみると、小学生の頃から好きだった「仕事」。
学校が休みの日は、近所の親戚が営む工場やお店から「ちょっと手伝いにきてもらえない?」と電話があると喜んで駆けつけ、店番や板わかめの製造・包装など時間を忘れて手伝っていました。

高校生になると、友達や先輩に誘われて応募した釣り具店、食堂、和菓子店、ファミリーレストランでのアルバイト。釣具店では1日の売上管理、ファミリーレストランでは土曜日のフロアチーフなど、仕事を任せてくださる環境にやりがいを感じていました。売上の管理をすることで、売上アップに繋がる接客を考え行動しましたし、フロアチーフとして他のアルバイトスタッフとの効率の良い連携を考えるなど、学びの多いアルバイトでした。

社会人になってからは、新卒で就職した印刷会社(版下業務)からはじまり、化粧品会社(訪問販売・新人部門島根県トップで表彰)、メリット(求人情報紙の営業)、生命保険会社(営業・成績優秀者表彰)、エステ会社でエステティシャン、細かく言えば他にもまだありますが…、出会いに導かれ自分探しの転職を繰り返していました。何しろ「思い立ったが吉日」な性格ですので、ここまでで若干22歳。今から25年前ですから、はたから見たら落ち着きのないダメ人間に見えていたのかもしれません。しかし、私自身、自分の中にあるテーマのもと、自分自身を試しながら「一定の結果を出すまでは辞めない」ということを条件に転職をしていました。
一見繋がりのない仕事のようですが、どの仕事もこれまでの仕事経験が生き、掛け算のように経験値が上がることを体感した20代前半でした。

私の仕事人生part2
ライフスタイルの変化に試行錯誤(23歳~31歳)

売上回復を命じられ、求人部の責任者として再びメリットに戻ったのが23歳。
この頃の私は、自分のやるべきことをやっと見つけられた喜びで、俄然やる気に満ち溢れていました。営業活動のできない業務時間外に過去3年分の求人データ収集、収集したデータをもとに業界・業種・月・週別に求人統計データを作成し営業計画、スタッフミーティングを徹底して行いました。売上回復と同時に、はじめての責任者として学びを深めた時期でした。こうして振り返ると、仕事ばかりの人生のようですが、人並みに遊びも恋愛も謳歌しておりましたので(笑)、25歳で結婚、26歳で一人目の出産から1年間の育児休暇へ。結婚し家業(豆腐屋)を営む長男の嫁になった私は、「家業の手伝いと子育てをしながら自分のやりたい仕事を続ける方法」が最大のテーマとなり、ライフスタイルの変化とともに仕事のスタイルが変わっていくことに試行錯誤をすることになるのでした。
育児休暇中は、はじめての子育てをしながら家業の営業活動をしたり、帳簿を精査し私なりに課題とアイデアをまとめたりしました。(もちろん簡単に受け入れてはもらえませんでしたが( ;∀;))
育児休暇が終わり、子どもを保育園へ預けてメリットへ復帰。嫁でも母でもなく「私」としての時間は、不安と同時に水を得た魚のようだったのかもしれませんが、それも、嫁や母としての時間があるからこそ喜びも増したのでしょう。それでも、時間で切り分けられるほど単純なことではなく、保育園からの呼び出しは容赦なくやってきますので、次第にまわりの社員に申し訳ない気持ちに苛まれる日々となりました。そんな時にタイミングよく声がかかるものなのですね。メディア関連の会社から「子育て中で営業経験があり在宅で仕事をしてくれる人を探している。是非!」と。在宅なので子どもの体調が悪くても家で見ながら仕事ができましたし、収録のある時は、生後6か月の2人目をスタジオへ連れ行き、収録中はおんぶして業務をしていました。
今まで求人情報の紙媒体をメインにやってきた私が、企画立案から動画編集や音楽制作の一部を担うなど新しい経験をたくさんさせていただきました。3人目の妊娠中に手術をしたことで仕事を続けることができなくなりましたが、たくさんの出会いや経験に今でも感謝しています。

私の仕事人生part3
3人の子育て×家業×私の仕事(32歳~39歳)

手術後、3人目を無事に出産し、次の仕事を考える「繋ぎ」のつもりで、苦手なことにトライしてみようと応募したコールセンターの仕事。やってみると思いのほか楽しく、ハマりそうになったのには私自身びっくりしました。気になったらやっぱりやってみることですね。苦手だと思っていたことが楽しいなんて、ちょっとしたご褒美をいただいた気分でした。なんだかとても落ち着いた時期のよう見えるかもしれませんが、この頃、プライベートでは、3人の子育てと義母の脳梗塞、義父の脳出血、義祖母の脳出血と立て続けに家族の入院で慌ただしい日々でした。朝、子どもを小学校・保育園へ送り出し、1歳にならない3人目を連れて家業の配達へ。配達が終わったら自分の仕事へ。帰宅後と休日は病院へ。とにかく壮絶な日常でしたが、同じやるなら楽しくやりたい性分なので、家業の配達も思いっきり楽しんでいました。保育園や学校給食、青果市場、小売店などへ配達する商品(豆腐を何百丁や油揚げなど)を伝票をみながら軽バンに積みこむところから仕事はスタートです。朝から大きな声で挨拶をする心地よさと早朝から働く配達先のひとたちとの会話、勝手に商品提案など(笑)

(この頃、私の仕事はまたお声をかけていただきメリットに戻っております)

子育てと家業の手伝いをしながら仕事をする日々は、家業を廃業することになる39歳まで続きました。
子どもも上は中学生、3番目の末っ子も小学生に成長しました。
余談ですが、3番目の末っ子は配達に連れていくことが多く、いつも集金を手伝ってくれていたので、小学校へ上がるころには1万円までの計算は暗算でできるようになっていました。

私の仕事人生まとめ
行き当たりバッチリ

8年前までの仕事をざっくり振り返ってみました。
(あれから今日までの8年もかなり濃い変化があり、まだたった8年か…と思うのですがそれはまた。)
思い立ったが吉日の行き当たりのような仕事人生、ひとつのことを突き詰めていける人を尊敬しますし、そういう生き方に憧れ悩んだこともありました。20代後半だったと思いますが、その頃よく一緒に仕事をさせていただいていた人生の先輩にそんな悩みを相談したことがありました。「妻・嫁・母としての顔、仕事でもあらゆる顔のある吉井さん。一緒に仕事をしていて逆にうらやましく思うよ。もうこれは吉井さんという職業で肩書だよ」と。この言葉が腑に落ちるまで時間はかかりましたが、こうして振り返ってみましてもいつも結果はバッチリで、行き当たりバッチリな仕事人生だと思えるようになりました。綿密な人生設計とは程遠い生き方をしていますが、目の前のことへのチャレンジやひとつづつ積み上げた経験、そして多くの人との出会い、無駄なように思えたことも、今となっては無駄なことは何ひとつなかったと断言できます。

そして、いつも「ワクワクするかどうか」という私の基準。これまで、社長や上司、同僚など何度となく「私の感覚なんですけど」「昨日、運転中にひらめいたんですが」などという、唐突な話にお付き合いいただいたことと思います。数年前までは、仕事の話を感覚でするなど理解されませんでしたし、それこそデータや根拠を示すようにも当然ながら言われていました(もちろん必要な時は用意するのですが)。でも、ここ数年「吉井さんの感覚でいいから」と意見を求めてくださることも増えてきました。
そして、2023年兎年。
とある経営者の言葉が年始一発目にささりました。
「ヒラメキとトキメキで判断できる面白い時代になったということだよ」
生きやすい時代になってきたんだなぁ、と思った年明けでした。

今年もよろしくお願いいたします。

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